意外にも、うろたえました。
ここ数日の、父のこと。
2月25日(土)
「もうすぐ、春だし、明るい色のブラウスでも買おうかな・・・。」とショッピングセンターをぶらぶらしていた時、父が入所中の老健の相談員さんから電話。
「血圧が高い(180/110)が続いています。脈も速い(110)。
胸が苦しいという訴えもあります。食事も6割程度しか食べられていません。
夕方になると活気がなくなり、しんどそうです。」
老健というところは、結構こまめに入所者の変化を家族に伝えてくれます。
今回も、だからどう、いうわけではないけれど、経過報告といった内容。
すっかり、ブラウスなんて買う気も失せ、家路につきました。
「ああ、始まったのかな・・・。」
それが私に浮かんだ思いでした。
2月27日(月)
また老健からでんわ。
「今日の昼食後に嘔吐。朝から活気がなく、黄疸が眼球と腹部に出ている。足と浮腫もある。胸痛、倦怠感もあり。入院を考えたほうがいい。K病院に入院依頼を家族からもしてほしい。」
K病院とのやりとりの後、3月1日に入院決定。
「始まった・・・」というのは、最期のステージが、とういこと。
ついに症状が顕在化し始めた。
もうここからはさほど時間がないのかもしれない。
この時が来ることは、半年前から重々承知でした、。
父とは、葬式はだれを呼ぶのか、とか、残った家や仏壇はどうすればよいのか、とかいろいろ話をしてきました。
「暖かくなったら、家に帰ろうね。」と最期を家で迎えるという希望をもっていました。
でも、もうそんな悠長なことは言ってられないのかもしれない。
悲しい、というよりは、うろたえている自分がいます。
なぜ?なぜうろたえるのだろう?
よくよく自分を見つめてみると、それは、「恐怖感」です。とても原始的な「恐れ」があるのです。
小さい子どもがよく持っているといわれる、自分を養育してくれる人が突然いなくなったらどうしよう、という根拠もない恐怖感。これに似た恐怖感がいまだに私の根底にあるのです。
母はすでに亡くなっているので、父が亡くなると、私は実の両親を亡くしてしまうことになります。
自分でも意外です。びっくりです。
だって、もう40歳半ばで、私自身が子供を持つ身なのですよ。
自分では、「もういい大人」と思っていました。
まだこんな幼い本能のような感情をもっているのかと、自分の未成熟さにびっくりです。
また、自分の養育者が痛みや辛さに苦しんでいる事実への無力感。
この数日はこの恐怖感と無力感を乗り越えるのに、悶々としていました。
入院前後のこと、この恐怖感をのりこえたこと、などは次回。。。。