ひっそりと…
3月28日。
仕事を終え、父の家に帰宅したのが夕方6時。
父のベッドに様子を見に行くと、相変わらず。
よかった、何事もなかった、と安堵。
ただ、呼吸がいつもと違う。
痰が絡まっているような、胸のほうからもヒューヒューというか、ゼイゼイとういう音がしている。
呼吸も少し早い。
私の不在中にヘルパーさんや訪看さんがメモを書いてくれるノートを見る。
今日の13時以降、尿がでていない。
無尿になる、死前喘鳴という過程をたどっているのだろうか。
脈を測ってみる。80であったり、測定不能であったり。
話しかけると、反応はある。
時折薄目を開けている。
手足は冷たくなっている。
洗濯などの家事をしながら、時折、様子を見ると呼吸はしている。
痛さを訴えるそぶりを見せると、モルヒネを飲ませる。
「おむつ変えようか?」
と聞くと、首を横に振る。
どうやら、意思の疎通はできるらしい。実際、尿が出ていないないので、自分でもそれが分かるらしい。
いよいよ、もうその時が近いのだろうか?
しばらく、手をさすってやったり、昔の思い出話をしてっやたりしながら時間を過ごした。
夜12時前になって、私も布団に入る。
夜中何度か目が覚め、呼吸を確認し、また私も寝入る。
朝五時、呼吸音がしない。
まさか?と思い、近づく。
呼びかけても反応がない。
亡くなるということは、こういうことだ。
呼びかけても、一切の反応がなくなる。
あんなに自分勝手で、わがままな父だと疎ましく思っていた父でさえ、反応がなくなると、言い表せない程の悲しさがこみ上げる。
ひとしきり、父のベッドの前で泣いた後、訪看さんに電話する。
訪看さんがやってきて、見届けてくれる。
主治医もやってきて、看取ってくれる。
その後、訪看さんと一緒に父の体の処置をする。
主治医が最後に言ってくれた言葉。
「いい親孝行をしましたね。お父さんは幸せだったと思いますよ。」
在宅医や訪問看護、ヘルパーなどの力を借りて、父のケアをしてきたけれど、ケアをされていたのは、私だったのかなと後になって思います。
できれば、ずっと見守ってやりながら息を引き取ってほしいと思っていましたが、
実は在宅死でも、そういう場合は少ないのだとか。家人がほんの少し目を離した間に息を引き取るケースが多いそう。
父の場合もそうでした。
家人にとっては無念さが残りますが、私はこれは人がまだ動物的な本能を持ち合わせているためではないかを思っています。なぜなら、野良犬や野良猫は死が近づくとひっそりと人目のない場所を選んで静かに亡くなっていきます。
旅立つときは、静かに旅立っていきたい。
それは、人の自然な感情ではないかと思うのです。
#在宅看取り#在宅医療#在宅介護