はたらく母さん 看取り奮闘記

働いて、子育てしながら、親の看取りはできるかな?

いざ、パワースポットへ!~宮島~

こんにちわ。

ここのところ、父の介護に加え、兄弟間の相続問題でヘロヘロになったゆきしんです。

 

そんなわけで、リフレッシュとパワーチャージを目的に、家族で宮島へ行ってきました。

 

宮島へは、桟橋からフェリーで10分。

向こう岸に見えるのが大鳥居。その背後にあるのが、神々の島「弥山」。

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 ついたらちょうどお昼なので、カキフライ定食。

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 SNOWアプリで、末っ子と顔を入れ替えて遊ぶ(#^^#)

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 宮島水族館で太刀魚をみたり、お土産物屋を冷やかしたり、とゆったりと遊びました。

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本命は、大聖院というお寺への参拝。

一とおり参拝を済ませて、境内の売店へ。

まずは、数珠を3つ購入。子どもたちには、これまではずっと子ども用の数珠を持たせていたので、一生使えるものをと、おとな用のものを。

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自分には、肌守りとキーホルダー。

 

 

こんなものを買うだけで、満足感があります(#^^#)。

なぜが末っ子は、境内内でやってる露天商の古銭を。

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 ちなみにこれ、2800円が2000円に値引きしてくれたけど、その露店では結構高額なもの。江戸時代の記念硬貨で、国の慶事があると発行されていたもの。お猿さんが、馬を引いている彫刻が施されています。

 

 宮島はパワースポットといわれるだけあって、いつもここに来ると気持ちがすっきりします。

自分を癒し、またこれから起こる様々なことを向き合っていけそうです。

 

#宮島#宮島水族館#パワースポット#大聖院#古銭

 

 

 

 

 

 

 

お金、この「〇〇」たるもの

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こんにちは, 海上自衛隊がある街に住んでいるゆきしんです。

私の街の海には、時々潜水艦が泳いでいます。

これって、割とフツーの景色ですが、自衛隊がない地域の方には珍しいじゃないでしようか?

 

ところで、まさか自分が巻き込まれるとは思っていないことの一つに「肉親との相続問題」があります。

 

そう、私にも降りかかってきました!😱

しかも、異を唱えたのは、この私⤵️⤵️⤵️

 

(断言しておきますが、サラリーマン家庭だった我が実家には、大した額の資産はないのですが。)

 

もう、随分弱ってしまって、自力で起き上がることはおろか、話すこともままならない父。

父が比較的元気な時から、私は、「お願いだから、相続は兄弟で揉めないようにしといてよー、負の財産は残さないでよー。」と話していました。

が、ここにきて、遠方の姉に新築祝いをしたいと言いだし、その額は私の時の倍額。しかも、私にかけてくれていた生命保険を解約まですると。

それって不公平じゃない?私の、父にかけてる時間や負担は姉の比じゃないよ?

やってらんないわ!もう全部姉に任せるわ!

もう私は自由にやらせてもらうから!

と、自暴自棄に陥りました。

 

そもそも、あまりボケてはいないものの、何を言っているのか分からない父。

そんな状態で多額なお金をどうこうしようするのは、止めてほしい。

結局、姉が確認や説得してくれ、倍額は誤解だったことが分かりました。

(しかし、どのお金をどうしようとしているのか未だによく分かりません。)

そして、父が本当に私に感謝してくれている事も聞かされました。

 

お金の為にやっている訳じゃない。

裕福ではないけど、困窮する程困っている訳ではない。

こんな私でも、お金は人の心にさざ波を立て、惑わすのです

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この機会に自分に問い直してみました。

なぜ私は父の面倒をみるのか?

 

「自分の親だから、当たり前。」

↑これは一般的ですが、私には、少し違うような気がします。

親の介護は、大なり小なり人を拘束します。

正直、母が亡くなってからの7年間、心のどこかで、父のことから自由になりたい、束縛されたくないと渇望し、そのやり切れなさに鬱っぽくなることもありました。

道徳的に正しいという理由だけでは受け入れられないくらい、キツイものでもあります。

 

「お金(財産相続)のため。」

↑違います。当てにしていないというと噓になりますが、目的ではありません。

前述しましたが、資産家ではないので、逆に不動産の始末などで負の財産を抱え込まないように気をつけることが肝要です。

 

「自分のため。」

↑一瞬???ですが、これが一番ぴったりのような気がします。

死は誰にでも訪れる人生の局面。

自分を産み、育ててくれた親を、納得いく形で見送れるか?

親が亡くなったあと、その見送り方に後悔ばかりの人生を送りたいのか?

 

あー、そうか、これかー!

私は、親を見送った後、

「あー、終わった、大変だったけど、お父さんにとってよい看取りをしてあげたなー。」

と感慨に耽る自分をイメージしたいのです。

もうこれは、困難に立ち向かう時のスキルの一つ、一種のイメトレです。

これを自分のためと言わずしてなんと言おう?

 

この相続問題ですったもんだした末、やっと自分を見つめ、父の死と正面から向き合えるようになれました。

 

お金、この「◯◯」なもの。

「◯◯」には、いろんな言葉が入りそうですね。

今の私には、「惑わしき」もの、かな~~。

 

#親の介護#ワーキングマザー#看取り#お金

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間に必ず誰がいなくてはいけないのか?

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唐突ですが、ショートスリーパーになりたいゆきしんです。

理由は、いろんなことができるから(いつも眠気に負けてます(涙))。

 

先週、仕事で企画した研修会。

地域の医療・介護関係職種の人対象の研修会で、テーマは「看取り」

 

公私混同してしまいそうなくらい、今の私にぴったりです!

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講師は、地域で実際に看取りをしてくださっている開業医のドクター。

ご自分の体験を失敗談も含めて、惜しげなく披露してくださいました。

 

その中で印象に残ったのは、この言葉。

 

「その瞬間に必ず誰かがいなくてはいけないのか?」

 

はい、「その瞬間」とは、まさしく、「お迎え」の時ですね。

患者と家族が手と手を取り合って、涙涙でその時を迎える。

それもまたよし、です。

 

が、逆にそれはこの日本全体への呪いとなっていないだろうか?

それがために、介護離職をしなくてはいけない、キャリアを諦めなくてはいけない、子どもとの時間を犠牲にしなくてはいけない、とまるで介護する人の人生そのものを諦めなくてはいけないかのようです。

 

でも、そんなことはないと先生は言われます。

現在、24時間拘束できる家族形態ってあるだろうか?

たとえ、死後数時間後に、息を引き取ったことが見つかったとしても、それまでのプロセスを大事にしていたか?

そのあとに、十分お別れの時間をとってもいいのではないでしょうか。

 

私、この言葉を聞いて、すごく楽になりました。

本当に、呪いが解けたようです。

今正しく迎えようとしている父の最期に精神的に向き合えるきっかけとなりました。

できれば、今、親や家族の最期に葛藤している人に伝えたい言葉です。

 

 

医療施設と介護施設、それぞれの違いについて

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3月1日に、老健から病院に移った父。

 

老健とは、老人保健施設のことで、介護保険法による施設。主に、自宅へ帰ることを目的としてリハビリなどをする目的の施設です。

 

病院、これについては説明をするまでもなく、医療を提供して、病気を治すことを目的とした施設。

 

父も私も、これまで「施設」というと、病院しか利用したことがなかったので、このたび初めて介護保険施設を体験してみました。

 

なので、医療と介護の施設の違いを患者家族の目線で紹介いたします。

 

まず、理屈抜きで、私という一個人とっては「介護施設のほうが居心地がよい」ということ。

 

もうこれは、単純に、私が「病院がキライ」だから。

多少の風邪ではまず、いきません。明らかにインフルエンザっぽくっても、いきません(ですが、最後は夫に無理やり連れて行かされます、、、。)。

 

なので、自分の治療ではなく、父の見舞いでも病院に行くのが嫌でした。

あの薬品の匂い、雰囲気、どうしても居心地が悪く、父には申し訳ないのですが、着いたらすぐに「帰りたい!」と思ってしまいます。

 

ですが、今回、老健を何度訪ねているうちに、ゆっくり座って、父と話している私がいるではありませんか!

無意識に、ゆったりと、父と話でもしようかな、、、と思えるのです。

それは、老健は、「生活の場」なのだからです。スタッフの方々もそれを念頭に置いた声かけや、動きです。なので、自然と雰囲気が家庭的になり、見舞い客もくつろげるのだと思います。

 

一方、医療施設は、「治療」を目的に、スタッフの動きや物事が進められていきます。

どこの病院もスタッフの方々はとても忙しそうです。声をかけるのもためらわれがちです。施設内もよく言えばすっきり、悪く言えば殺風景です。

 

それぞれの施設の目的が異なる所以でしょう。

残念ながら、父の容体は、医療を必要とする状態になってしまい、病院へ舞い戻ることになりました。

 

 

老健を後にする時、相談員さんに最後の挨拶を思いお礼を言おうし、自然に涙がこみ上げてきました。

とても親身になってくださったことに、救われた自分がいて、それを思うと泣けました。そして相談員さんも泣いてくださいました。

 

少しの間でしたが、暖かい施設で過ごせたことは、父にとっても私にとっても、良かったかな、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面会禁止に絶句…

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年甲斐もなく、親の死に際にうろたえてしまったゆきしんです。

 

さて、そんなブルーな日々からどう気分を持ち直したか、その一面をご紹介します。

 

 癌の症状悪化により、3月1日に、老健から、市内で一番大きな病院に入院した父。

 

なんと、その病院、「面会禁止」なのです。

とくにICUなどに入っているわけでもない患者でも、家族その他の面会は「禁止」

 

本当に、会えない、会っちゃいけない。

 

それは、インフルエンザの感染予防のため。

入院当日、私が、着替えを収めたり、書類に記入していた、たった30分くらいの間でも、看護師さんから、

「面会禁止なんです。できるだけ早く出て行ってください。」

と本気で促されました。しかも2回も。

 

「え?ではこれから着替えの交換とかはどうするんですか?」

と聞くと、

「ナースステーションの看護師に渡してください。」

「・・・・・」

 

 

まじ~~~~~~?

 

私、自分で言うのもなんですが、かなりドライな性格なのです。

が、これにはちょっと面食らいました。

何事も、限度ってものがあるでしょう?って突っ込み入れたくなりました。

 

患者って、ただでさえ落ち込んだり、気弱になっているのに、家族の顔をみたり、会話することによって元気をもらったり、頑張ろうって思えるんじゃないかな?家族にとってもそれは同じ…。

 

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インフルエンザ予防するのあたりまえだけど、それを犠牲にしてまでしなきゃいけない非常事態か?

 

ただ、一方で、ICUを備えているような病院は急性期医療を提供するのが本来の役目。

私達、患者や家族は医療にお任せするのが当たり前、安心になれきっているのではないのかな?

これって、日本人の悪いところ。

高度な医療を受けることに慣れきって、まるで権利のようなつもりでいる。

つまり、依存してることにも気づいていない。父のように、急性期病院じゃなくてもケアできる人は、他をさがすべきなのかも。

 

ちなみに市内の他の病院はそこまで厳格に規制していません。

知り合いで、かつてそこで働いていたナースにこのことを話すと、より一層管理的になっているとこのこと。(ちなみに離職率も高い。)

 

あ~~~、はやくインフルエンザの警報、解けないかな~~。それより、早く退院させちゃおっかな~~~。

 

という思いが、心に沸々と浮かんでくる出来事でした。

 

意外にも、うろたえました。

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ここ数日の、父のこと。

2月25日(土)

「もうすぐ、春だし、明るい色のブラウスでも買おうかな・・・。」とショッピングセンターをぶらぶらしていた時、父が入所中の老健の相談員さんから電話。

 

「血圧が高い(180/110)が続いています。脈も速い(110)。

胸が苦しいという訴えもあります。食事も6割程度しか食べられていません。

夕方になると活気がなくなり、しんどそうです。」

 

老健というところは、結構こまめに入所者の変化を家族に伝えてくれます。

今回も、だからどう、いうわけではないけれど、経過報告といった内容。

 

すっかり、ブラウスなんて買う気も失せ、家路につきました。

 

「ああ、始まったのかな・・・。」

 

それが私に浮かんだ思いでした。

 

2月27日(月)

また老健からでんわ。

「今日の昼食後に嘔吐。朝から活気がなく、黄疸が眼球と腹部に出ている。足と浮腫もある。胸痛、倦怠感もあり。入院を考えたほうがいい。K病院に入院依頼を家族からもしてほしい。」

 

K病院とのやりとりの後、3月1日に入院決定。

 

「始まった・・・」というのは、最期のステージが、とういこと。

ついに症状が顕在化し始めた。

もうここからはさほど時間がないのかもしれない。

 

この時が来ることは、半年前から重々承知でした、。

父とは、葬式はだれを呼ぶのか、とか、残った家や仏壇はどうすればよいのか、とかいろいろ話をしてきました。

「暖かくなったら、家に帰ろうね。」と最期を家で迎えるという希望をもっていました。

でも、もうそんな悠長なことは言ってられないのかもしれない。

 

悲しい、というよりは、うろたえている自分がいます。

なぜ?なぜうろたえるのだろう?

よくよく自分を見つめてみると、それは、「恐怖感」です。とても原始的な「恐れ」があるのです。

小さい子どもがよく持っているといわれる、自分を養育してくれる人が突然いなくなったらどうしよう、という根拠もない恐怖感。これに似た恐怖感がいまだに私の根底にあるのです。

 

母はすでに亡くなっているので、父が亡くなると、私は実の両親を亡くしてしまうことになります。

 

自分でも意外です。びっくりです。

だって、もう40歳半ばで、私自身が子供を持つ身なのですよ。

自分では、「もういい大人」と思っていました。

 

 

 

まだこんな幼い本能のような感情をもっているのかと、自分の未成熟さにびっくりです。

また、自分の養育者が痛みや辛さに苦しんでいる事実への無力感。

この数日はこの恐怖感と無力感を乗り越えるのに、悶々としていました。

 

入院前後のこと、この恐怖感をのりこえたこと、などは次回。。。。

 

 

 

 

ひつまぶしを食べてみました!

出張から帰ったゆきしんです。

 

時々、うなぎ食べたいなー、って思うことはないですか?

私はたまにあります。

 

出張中、すみだ水族館に行く途中、ふと、うなぎ食べたいなーって思ってたら、ソラマチタウンにありました!

 

ひつまぶし 備長

http://hitsumabushi.co.jp/soramachi/

 

一人前が3000円強で、ちと高めです。

 

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広島生まれ、広島育ちの私、うな重は食べたことあっても、このひつまぶしとやらを食べたことがなかったのです。

 

ひつまぶしは、お膳にいろいろ並べられてて、何やら食べ方があるらしい。

 

まず一杯目を茶碗に装うと、そのままのシンプルな味を楽しむ。

 

二杯目は、わさびとネギという薬味を乗せて。

 

三杯目は、出汁を注いで、サラサラと。

 

四杯目は1から3までのなか、自分の好きな食べ方で〆る。

 

初心者なので、とりあえそのとおりに食べてみました。

うなぎの外側のカリッとした食感となかのふんわり。甘辛いタレと白いご飯との相性❤️

美味い〜( ´ ▽ ` )ノ

薬味を乗せても、出汁を注いでも、それぞれに味が異なり、尚且つ美味しい。

 

でも、私はシンプルな味が好き❤️

薬味のネギも甲乙つけ難い!

なので、次にもし食べるとしたら、

シンプル

シンプル

薬味乗せ

出汁

という順番にするな〜、と密かに次の計画を立てています。

 

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